
プロローグ
西暦1650年の冬。太陽系内に突如として未知の恒星が出現。地球上で昼夜を問わず明るい異常現象が一週間続いた後、未知の恒星は忽然と消えた。時を待たずして、海洋生物に異変が起こり始める。翌年の春、異形の生物が蝦夷の北端に上陸。同時に、人に対して無差別に殺戮を開始した。人はそれらを、敵と認識するまでに時間は掛からなかった。やがて人は異形の生物を「鰐蛇:ワビ」と呼ぶようになる。鰐蛇の名は、まるで鰐と蛇を合わせた如く異様な風貌だったことから名づけられた。鰐蛇の攻撃は人を圧倒。進撃を防ぐことができず、人は防戦と撤退を余儀なくされた。やがて、鰐蛇との防衛線は人類側の呼称「荒川城塞」にまで後退。人の存亡を賭けた戦いが始まろうとしている。
本編
第1章:荒川城塞
百清美「最悪だ」
私は荒川城塞の小天守から、眼下の光景を眺めながらそう呟いた。荒川を挟んだ対岸には、人の天敵である幾千もの鰐蛇の姿が見える。見渡す限りの地平線を埋め尽くし、縦横無尽に動き回る鰐蛇の姿に、私は思わず息を飲んだ。
その直後、墨甲冑を着た見知らぬ男が、大きな足音を鳴らしながらこちらに近付いてきた。
法道「奴らは太陽が登る今日の正午頃を狙って、一呼吸に攻撃を仕掛けてくるだろう」
百清美「恐らくそうだろう。あんたは・・・?」
法道「荒川城塞 川口陣区の法道だ。そういうお前は?」
百清美「私は百清美だ。本日より、本陣区に遊撃隊として参陣した」
法道「遊撃隊?確か、対鰐蛇の専門部隊と噂で聞いたことがあるが・・・あんたみたいな子どもまで動員しているのか・・・はぁ、世も末だな。いいか、悪いことは言わん。ここは危険だ。いまのうちに後方陣区へ下がれ」
百清美「いま何と言った?後方へ下がれだと?それは冗談のつもりか?城塞を奴らに囲まれて、後方とはどこを指すのだ?それに私は子どもではない!幾多の戦場経験がある槍華武人だ」
法道「槍華武人?・・・槍術を極めし達人の称号・・・。そうか、あー、なんだ。見た目で判断してすまんかったな。おいおい、そんな怖い顔で睨むなよ。俺が悪かった」
百清美「・・・まぁいい。あんたこそ、敵を前に軽口を叩く暇があるのか?言動から戦いに向いているとも思わん。なぜここにいる?城塞内の中央陣区へ行かないのか?」
法道「俺か?まぁ、こう見えても責任ある陣頭様でな。前線を離れてしまっては、同じ陣区の仲間に示しがつかん。それに、家族がこの城塞のすぐ内側の赤羽陣区に住んでいてな。誰かがここに残って戦わなければ。まあ、そういうことだ」
百清美「川口陣区 陣頭・・・そうか。人は見かけによらんな」
法道「まぁ、お互い様だな」
百清美「現状、私はこの陣区で最後まで戦うつもりだ」
法道「あんたも物好きだな、と言いたいところだが。正直、実戦経験者が増えるのは心強い。俺の予想では、この陣区が最も激しい戦いになると考えている」
百清美「私も同意見だ。ここは下野から南下してくる敵の真正面。だからこそ、ここへ参陣した。案の定、奴らが本陣区に続々と終結している」
法道「なるほど。あんたの意図が理解できた」
百清美「あぁ」
法道「あんた、故郷は?」
百清美「故郷は中野だ。ただ、先日までは宇都宮陣区で戦っていた」
法道「宇都宮?・・・そうか、よく無事だったな。目を覆いたくなる凄惨な戦いだったと、伝令から聞いている」
百清美「あぁ、宇都宮城に篭って抵抗したが、半日も持たなかった。今となっては、残ったのは地名と過去の記憶だけだ。全部・・・あいつらのせいで」
法道「他の仲間はどうした?」
百清美「分からない。城壁内に鰐蛇の侵入を許してから、我々は大混乱になった。命からがら武蔵方面へ退却する途中で、部隊の仲間とも離れ離れになった」
法道「そうか・・・。無事にここまでたどり着けて良かったな。あんたは悪運が強い。ここで死ぬなよ」
百清美「あぁ、もちろんだ。あんたもな」
法道「おう」
その直後、一人の藍甲冑を着た女性が足早にこちらへ近づいてきた。